2024-01-01から1年間の記事一覧
その頃の楽しみといえば、6里ほど離れたところにある貸し本屋さんへ行くことでした。 学校の先生の自転車の後ろに乗せてもらって、よく本を借りに行ったものです。 吉川英治の『三国志』や『宮本武蔵』を先生にお借りして、あまりの面白さに時間を忘れて読…
敗戦後、恐れていたようなひどい事は何ひとつ起こらず、やってきた進駐軍も子どもたちにお菓子を配るなど、拍子抜けするほど友好的でした。 5月に小諸で始まったばかりの女学校は敗戦の混乱で再び休校となってしまい、再開のめどは全く立たない状態が続いて…
女学校が夏休みに入ったので、小諸の林間寮舎を離れ、姉とふたり汽車に乗って、家族が暮らす茨城県へと向かいました。 それが8月15日でした。 途中横川駅で汽車が突然停まってしまいます。 何事かと思っていると、ただならぬ雰囲気の中、軍服姿の将校たち…
焼け跡を行く『アジア・太平洋戦争』森武麿監修 ポプラ社 家を焼け出された私たち家族は、母の実家のある茨城県にやってきました。 田んぼの広がるのどかな風景を目にした瞬間、焼け跡の殺伐とした風景とのあまりの落差に、思わず涙がこぼれました。 ここに…
やがて空が白みはじめ、ようやく夜が明けました。 辺り一面、焼け野原です。 空襲直後の浅草 『母と子でみる東京大空襲』 早乙女勝元編 草土文化 昨日まで当たり前のようにそこにあった街並みは、一晩で跡形もなく消え失せていました。 焼け跡からは絶え間な…
年が明けると、受験を控えた生徒を対象に口頭試問の練習が始まりました。 私は姉の通う女学校に進学を目指していましたが、先生は男性教師1人と地元の寮母さんだけですから、とても全員の勉強を見ることなどできません。 (どうなることかと思いましたが、…
1944年の夏、小学3年生以上の児童は集団疎開することになりました。 本土空襲の恐れが出てきたからです。 親類などを頼る縁故疎開と、学童疎開とに分かれて親元を離れることになりました。 学童疎開 『語り伝えるアジア・太平洋戦争 第4巻』吉田裕 文・監…
なぎなたの稽古 『東京大空襲を忘れない』瀧井宏臣著 講談社 小学校では兵隊さんへの慰問袋を作るくらいでしたが、姉が通っていた高等女学校では体育の時間になぎなたの稽古をするなど軍事教練が盛んになっていきます。 手先の器用な姉はゲートルの巻き方が…
家族でお誕生日会をしました。 行きのタクシーの運転手さんは女性の方で、以前は病院にお勤めしてらしたそうです。 よくよくお聞きしたら、お母様は私と同じ、92歳。 残念なことに今年の春亡くなられたそうです。 戦時中は韓国にいらしたそうで、終戦後、大…
どこの家でも空襲に備えて、着物など高価な品を地方の親戚宅へ疎開させるようになりました。 我が家も例外ではなく、内側に金属の張られたお茶箱を買い求め、和服や写真などを詰めて、茨城県の母の実家へ送りました。 建物疎開といって、都市部など住宅密集…
父は体格が貧弱だったため、兵役検査は丙種合格でした。 甲乙丙丁の丙です。 そのため出征することはありませんでした。 父は肩身が狭かったのかもしれませんが、お蔭で我が家は父親のいない心細さを感じずに済みました。 男手が足りなくなっていたので、父…
戦争の足音は、私が物心ついた頃から聞こえ始めていました。 小学2年生の時のことです。 お盆にたもとの長い絽の着物を着て、日傘を差して歩いていると、ふと私1人だけが周囲から浮いているような違和感を覚えました。 いつの間にか、長いたもとがヒラヒラ…
1932年7月、私は東京下町で箒屋を営む夫婦の第2子として誕生しました。 結婚7年目にしてようやく授かった姉が3年前に誕生しています。 姉には考え抜いて名前を付けた父でしたが、私が女だと分かると怒り出し、名前を考えてもくれません。 次は男子が生ま…
今日工事の人が来ました。 1時間くらいの工事。 しっかりした手すりがついて、これで階段の上り降りも安心です。
近所のスーパーで赤ジソが安く出ていたので、赤ジソジュースを作りました。 葉っぱをむしるのが大変。 いつもは洗うと泥が沢山落ちるのに今回はほとんどありません。 お酢を煮立てて、砂糖と塩少々を入れて溶かしてから、洗った赤ジソを入れてグラグラ煮ます…
落語の二人会へ行きました。 桂文枝と春風亭小朝です。 よく見えないし、よく聞こえなかった。 去年はもう少しよく見えたし、聞こえたような気がします。 年を取ったという事でしょう。
今うちにあるミシンは2代目です。 50年前にユザワヤの本店で買った職業用のミシン。 セールを狙って買いに来て行ったので6万円。安く買えましたが、針やボビン、糸に至るまで替えなくてはいけないのが大変でした。 普通のミシンよりも輪が大きいのでひと足…
どちらも義母の羽織りを作り直した上着です。 裏地は羽織りの裏をそのまま利用。 花柄の方は孫の結婚式に着たりしました。 自宅で洋裁教室を開き、注文も受けて、コートも縫ったこともあります。 毛皮と革だけは縫ったことがありません
今日梅を漬けました。 梅ジュースです。 1キロだけ。 以前は3キロ漬けてました。
家族みんなで食事にいきました。 ゆり根入りの茶わん蒸しがおいしかった。 楽しいけれど、買い物はできませんでした。 家に帰ってゼリーを食べてお茶を飲みました。 自分の家があって、家族がいて、みんな元気で 幸せなことです。
来月で92歳になります。 よろしくお願いします。